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沈黙を気取れない

Vo太一の日記
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  • 04/21/11:43

役者

最近、コンビニのお客さんによく話しかけられる。
ろれつの回っていないおじいさんに引っ越してきたばかりでここらへんのことがよくわからないのだけど、このコンビニにはこさせてもらうのでよろしくね、とか
いつもキャスターマイルド(煙草)を買ってくおばちゃんに今日の朝の雨と風は凄かったね、とか
初めてきた男性に一人だけだと夜勤は危ないんじゃない、とか。
その度に俺も普通に返す。そういうの、あんまり嫌いじゃない。


伊勢丹のバイトの方では、むしろ俺からガンガン話しかける。
キャベツやご飯のおかわりはもちろん、レジの時に御料理の方、お味はいかがでしたでしょうか、とか。危なっかしい敬語で。
そしたらみんな笑顔で答えてくれる。美味しかったですよ、とか、やっぱりここの豚カツはおいしいね、なんでパン粉があんなにサクサクしてんの、とか、前に来たときより店員さんの対応が丁寧で良かったです、とか。
そういうのはなかなか悪くない。いやいや本当に悪くない。

もちろん普段の俺はこんなんじゃない。ステージにあがって唄ってるときなんかまるで違う。日によるけど、意外と人見知りしたりするときもある。
つまり俺は、伊勢丹で良質な飲食店の店員を演じているわけだ。

そういうのは俺だけでなく、他の人も普段の生活で何かしらやっていることだろう。俳優ではなくともみんな演技をしていて、いろんな顔があり、向き不向きはあれど何かの役を演じていて、人間関係によってその顔を変えているのだ。上手い下手はあるだろうが人間というのはみんな役者だ。

しかし、それは悪いことではないと思う。偽ることと演じることは違う。現に俺は愛想のいい丁寧な飲食店の店員を全力で演じるのがなかなか楽しい。知らない人と話すのも楽しい。相手が笑顔になったときは少しばかりの快感がある。なかなか悪くないのだ。

そして思った、自分の本質というのは日々の演技の中で見えてくるのではないかと。今俺は飲食店の良質な店員を演じることを楽しく感じている、その役割を「楽しく感じる」ことこそが俺の本質なのではないだろうか。
そしてさらに思った。全力で演技をしていればそれは本物になっていくのではないかと。
明らかに以前よりも気持ちが入ってきているのだ、飲食店で働くということに。良質な店員を演じることによって他者を喜ばせることに、前よりも大きな喜びを感じている。これは俺にとって驚きだった。

そしてそれは唄にフィードバックしている。唄で他者を喜ばせたいという気持ちが強くなっているのを感じる。生活は俺の唄や言葉に繋がっている。


つまり何が言いたいのかといえば、人間の本質というのは、何のために何を演じるのか、また、演じている中で何を感じているのかで見定めることができるのではないか、そして更には、どれだけ全力で演じるかによって少しずつ変わっていくのでないか、ということだ。


良い役者であろうと思った。今日も全力で俺は店員を演じる。豚の命に失礼のないよう働く。お客さんを喜ばせる。
そしていつか本物になるのだ。
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